課題頭を撫でられるのが嫌いだという人は少ないはずだ。誰もが幼い頃に感じた母親の優しい指先や父親の広い手の平を覚えていると思う。 好きな人の指が髪を梳く、くすぐったく懐かしくて、そして眠くなるような感覚はとても気持ちの良いものだと思う。 もちろん撫でられるのが嫌いだ、という人間がいる。もちろん誰もが好き嫌いを持っていて、それは不自然なことではない。ただ彼の場合、その度合いが少し異常だった。 彼と僕は高校一年のときに出会った。同じ中学校に通っていたが、同じクラスになったことは無かった。なんとなく顔を知ってる程度で、もちろん話したことはなく、それくらいの関わりだった。 高校になって同じクラスになってからは、教室で雑談するくらいにはなった。同じクラスの人間ということで、お互い多少の親しみもある。ただ一緒に遊びにいったりするほどには、やっぱり仲良くはしていなかった。 二年生にあがっても、彼とは同じクラスになった。 「なにしてんの。さっきから」 彼とは座席が近かった。僕は窓際の最後尾に座っていて、彼はその右斜め前の席だ。出席番号順に並ぶため、一年生の時も似たような座席関係だったのを覚えてる。 「いや、ちょっと……」 その時は英語の授業時間だった。僕は殆ど意味が分からない教科書を開き、一応板書をノートに書き写すことだけを淡々とこなしながらぼんやりしていた。頬杖をついて、クラス全体をなんとなく眺める。一番後ろの座席なので教室全体が眺められる。そこで、彼の仕草が気になった。 彼はしきりに頭を掻いていた。最初は指先で髪の毛をいじくる仕草で、よく髪型を気にしてる奴が無意識にやる仕草に似ていた。ただ彼の場合は、なんとなくそこが気になったから弄った、という感じだった。 次に彼は頭を掻き出した。最初のほうは軽く、髪の毛を梳く程度の。しかしだんだん激しくなり、最後のほうでは爪を立てて掻き毟るような強さで髪を乱していた。 授業が終わったあとも彼は頭を気にしていて、僕が気になって聞いてみても彼は言葉を濁すばかりだった。しかし休憩時間の間も、次の授業の時も彼は時折頭を掻き毟っていた。 「どうしたんだよ、そんな頭痒いのか?」 からかう口調で話しかけると、彼は薄い笑顔で答えた。 「いやちょっと気になるだけ。虫とかが頭に這ってる感覚っていうか、そういうのない?」 「あぁ、あるある」 「だろ? まぁ多分髪が風とかで動いただけ、とか。そういうのなんだろうけど、どうしても気になっちゃって」 それにしてはちょっと行き過ぎなくらいの掻き毟り方だったと思ったが、その時は彼の言い分に賛同して「気にしないことだな」と笑った。そのあとも彼は時折頭を気にしていて、でも後ろの僕の目を気にしてか、あまり乱暴に掻き毟るようなことはしなかった。 次の日、彼は登校して座席に着くなり、頭を掻き出した。両手で、ばりばりと。 「おいおい、またかよ」 「ん、あぁ……」 振り返った彼は、目の下に薄いクマを作っていた。やたら掻くから長めの黒髪も乱れきっていて、酷い有様だった。 「そんなに痒いのかよ。ちゃんと毎日洗わなきゃダメだって。まじで虫とか湧いてんじゃねぇの?」 僕は少し無理をして笑いながら言った。彼の様子はどことなく異様だったが、ただ頭を掻いてるだけなので、心配するのもおかしい気がした。彼は辛うじて笑いながら、 「ちげぇよ。痒いとか、そういうんじゃないんだよ」 「えー、じゃあなんなの?」 そこで少し間が空いた。口を少し開けて息だけ吐いて、躊躇った。 「俺、子供の頃から頭撫でられるのダメなんだよね」 ほんの僅かな間迷ったあと、彼はそう言った。そのときも頭を一掻きした。 「撫でられるのが嫌いっていうか、頭触られるのが嫌いだったんだよ。髪とか弄られると、鳥肌とか立ったし。親に聞いても小さい時からそうだったんだって。原因とかわかんないけど」 親しい人に触られるのも嫌だし、知らない人には絶対に触れて欲しくない。ただ世の中には気安く頭を撫でてくる人間もいるもので、そういう相手とは距離を取る。それくらい他人に頭を触られるのが嫌だと言う。 「ふーん。僕は全然平気だけどな。指先で髪梳かしてもらったりとか。あ、髪切る時とかどうするの?」 「床屋とか美容院にはあんまり行かない。大抵は自分で切る。って言っても我慢できなくなるまで伸びたら、の話だけど」 彼は結構長髪だ。おそらく適当な長さに切りそろえて、あとは伸び放題にさせているんだろう。 「変わってるな」 「まぁ好き嫌いは人それぞれだし……。お前だってあるだろ。どうしても嫌いなものとか」 「んー、別に。……あー、強いて言えば虫が凄い苦手かな。だから頭とかに虫がついてる気がしてビビる、みたいなのは分かる」 虫が背中を這ってるような気がしたり、寝るとき布団の中に紛れているような気がしたり、そういうのはよく思い当たった。 「つまり、頭撫でてくる奴がいて、そいつに撫でられた感触がなかなか消えなくて気になって仕方ないとか?」 例えば虫が腕のうえを這っていたのに気付いて慌てて追い払う。でも、しばらくその感触が皮膚に残っていて、まだ体のどこかを這っているんじゃないか。なんていつまでも気にしてしまう。それに似たことではないか。 「大体合ってるけど、微妙に違うな……。ただ誰かに頭を撫でられてるような気がするんだよ。ここ最近はいつも」 微妙に違うってどこが違うんだ。そう聞こうとしたところで、担任の教師が教室に入ってきた。話はそこで中断されて、僕は自分の席に戻った。彼は鞄から教材を出しながら、やはり時折片手で頭を掻いていた。爪を立てて、苛立ちげに。 昼休み。彼の様子を窺うと、ティッシュを頭に当てていた。 「いやちょっと掻き過ぎて……」 出血したらしく、ティッシュには赤い点々がついていた。時々彼はティッシュについた血を確認し、まだ白い部分を傷口に押し当てる。それを繰り返していた。 「やっぱ、誰かが俺の頭を撫でてるんだよ」 彼はティッシュで傷ついた頭皮を押さえながら言った。目はどこを見てるとも分からない。まるで目の機能を放棄しているようだった。代りに頭にその神経を集中させているような、 「誰かって誰が? っていうか気にしすぎだろいくらなんでも」 僕がからかうように笑っても、彼は笑わなかった。 「誰かは知らないけど、手の感触を感じるんだよ。気のせいじゃないんだ。髪の毛の間を指が通る感じもするし、手の平の感触もあるんだ」 ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|